Top Page



 理事長プロフィール





Our Policy


■ 人権財団創立にあたって


■ 国家とは何か


■ 国家とは何か A


■ もう一つの「国連」の創出を


■ 国境を越えた民衆法廷運動へ


■ 所得の再分配より「資産の再分配」を


■ 崩壊する世界経済の再生に向けて


■ 「貧困根絶宣言」に向けて


■ 「貧困根絶宣言」に向けて A


■ 憲法に均衡財政条項の明文化を


■ 国家財政を主権者たる国民の手に


■ 抜本的な司法改革に向けて


■ 冤罪を生まない社会の実現を






FMラジオ番組
「まきの聖修の、出せ静岡の底力」













抜本的な司法改革に向けて

─── 真の国民主権を実現するために ───

[2014.2.4]



法治主義を放棄し、自浄能力を喪失した最高裁
PHOTO: (C) Wikipedia.org


訴追請求却下が意味するもの

 去る2013年4月8日に私が起こした竹崎博允・最高裁長官に対する訴追請求は、11月21日、裁判官訴追委員会より却下される結果となった。

 震災直後における竹崎博允・最高裁長官の行政行為は、誰がどう見ても、「裁判官弾劾法第2条」に、ど真ん中で該当するケースであったことは明らかである。

 にもかかわらず、裁判官訴追委員会は、何一つ理由を述べることなく、一方的に「裁判官弾劾法第2条に該当しない」とのみ通告し、当方の訴えを棄却したのであった。

 当たり前の事が否定される社会は、全ての国民にとって生き辛い社会である。

 そこで、今回の訴追請求却下問題の根底にある、我が国の司法制度の病理を検証し、抜本的な改革に向けて、皆様と共に考えていきたい。


聖域化された司法権力

 まず国民は、弾劾裁判所に直接裁判官の罷免の訴追をすることはできないことになっている。

 裁判官訴追委員会のみが、弾劾裁判所に裁判官の罷免の訴追をすることができると定められているのである。

 従って、弾劾裁判所における弾劾裁判は、裁判官訴追委員会から裁判官の罷免を求める訴え(罷免の訴追)が提起されなければ開かれない。

 そのため、国民が裁判官に対する罷免の訴追を希望する場合は、裁判官訴追委員会に対して、弾劾裁判所に裁判官の罷免の訴追をするよう請求する、といった手続きをしなけばならないのである。

 裁判官訴追委員会は、衆議院と参議院のそれぞれの議員の中から10名ずつ選ばれた合計20名の訴追委員で組織され、弾劾裁判においては、刑事裁判における検察官のような役割を担うことになっている。

 このように、本来ならば弾劾裁判所とは、立法府の国会が、司法権力をチェックし監督するための機能であったはずである。

 しかしながら実際には、弾劾裁判所や訴追委員会の事務方は、最高裁からの出向組が一切を取り仕切っている。

 当然の帰結として、彼らは裁判官の利益となる方向へ物事を進めることになる。

 国民の利益を考えれば、立法権と司法権は分離独立して、相互に監視し合う関係になければならないのであるが、実態としては、司法権力は立法府も立ち入れない「聖域」と化しているのである。

 そうした現実がある以上、国会議員によって構成されているはずの裁判官訴追委員会が、果たして実際に機能し、それぞれの訴追事案について十分に議論されているのかどうか、甚だ疑問と言わざるを得ない。

 ちなみに平成11年から25年までの15年間に受理された訴追審査事案は14208件あるが、その内、訴追された事案はたったの36件で、確率にすれば僅か2厘5毛に過ぎない。そして、「不訴追」となったのが約7割弱、「未済」が約3割である。

 この数字を見る限り、裁判官訴追委員会が本当に開かれているのかどうかさえ疑わしいのである。

 弾劾裁判の対象になるのは現職の裁判官だけなので、既に退職している裁判官は対象にならない。また、罷免の事由があった時から3年を経過したときは、罷免の訴追をすることが出来ないことになっている。

 すなわち、訴追をする権限は訴追委員会にしか無いわけであるから、事務方が3年間未済のまま放置しておけば、自動的に事案そのものが消滅することになる。またそれまでに裁判官が現職を退いた場合も、それで事案は消滅する。

「未済」の異常な多さは、こうした事情によるものと考えざるを得ない。

 また「不訴追」とは、上にも述べたように、特に理由も述べずに一方的に却下することである。

 通常の裁判と違って控訴や上告などは認められないため、1通の手紙で「不訴追」の通知を送付するだけで、訴える国民の側はそれで万事休すとなるのである。

 このように聖域化された司法権力について、主権者たる国民は、そろそろ本格的に対抗措置を検討する必要があるのではないだろうか。


行政訴訟の在り方について

 弾劾裁判の在り方と同様、我が国の行政訴訟の在り方も大いに問題である。

 行政訴訟は、フランスの年間約11万件、ドイツの年間約20万件と比べて、我が国は年間約1800件と、絶対的に少ない。

 しかも我が国では、行政訴訟を起こしても却下される比率が約20%と、異常に高い。

 ドイツでは、「この公務員はこういう違法行為をしている」あるいは「この行政行為はこういう違法行為である」という走り書きのメモを裁判所に送り届けたとしても、訴状として受理されるくらいに市民の立場で運営されている。

 しかしながら我が国では、よほどきちんと書いた訴状でも、「貴殿には原告適格が無い」あるいは「訴訟の利益が無い」といった理由で、約20%は門前払いで却下されるのである。

 かりに裁判に持ち込めたとしても、我が国では一部勝訴も含めて勝つ確率は僅か10%程度である。

 米国などでは、行政訴訟が起こされたら、行政側が手持ちの証拠を全部開示しなければならないことになっている。

 またドイツでは、公務員は応対した市民との会話等を全部きめ細かに記録する義務があり、訴訟が起こされたらその記録をすぐに提出しなければならない。

 しかしながら我が国ではそういうことは無いため、いくら行政訴訟を起こしても、行政側が証拠を提示しない限り、敗訴となってしまうことになる。

 最終的に勝つ確率が約10%であれば、わざわざ行政訴訟を起こす人もいなくなる。

 そもそも行政訴訟制度は、行政の適法性を支える最終手段である。これが形骸化するならば、行政の独裁を容認することになってしまうのである。


有名無実化した「三権分立」

 こうした背景には、司法と行政の一体化という実態がある。

 例えば、2011年に再審無罪となった布川事件の判決文などを見ても、裁判所は決して自分たちの過誤を認めないし、検察による証拠隠滅などの重大な犯罪行為についても一切コメントしない。

 普通の国ならば、関係した検察官は訴追され、何らかの刑罰が科されるはずである。しかし我が国では決してそのような事にはならないのである。

 この事は、我が国の検察と裁判官の癒着がいかにひどい実態であるかを証明していると言えよう。

 ちなみに、裁判所と検察には「判検交流」という人事交流制度がある。毎年数十人の判事が検察に出向して起訴状を書き、逆に同じ人数の検事が裁判所に出向して判決文を書く。そうして互いに身内意識ができる。

 そしてこれが裁判所と検察との癒着をもたらし、数多くの冤罪を生む温床となっている。

 そのため、たとえ被疑者が法廷で「自白を強要された」と主張し、取り調べ段階の供述を覆しても、検事に対して「身内意識」を持つ裁判官は、あくまで検察調書を信用し、被疑者の言い分を無視することになる。

 また、検察が逮捕状や勾留延長を請求した場合、たとえ容疑者の逃亡のおそれが無く証拠隠滅の可能性が低くても、裁判所は盲判を捺すように逮捕状や延長決定を出すという。

『狂った裁判官』(幻冬舎刊)などの著書がある元横浜地裁判事で弁護士の井上薫氏によれば、「裁判官も官僚だから、出世したい。だから無罪判決を出すときは非常に心配になる。無罪にして検察に控訴され、上級審で逆転されたら出世がなくなるかもしれない。経歴に傷をつけないためには、有罪か無罪か迷った場合、有罪にしておけば確率的に間違いが少ない」という。

 検察と裁判所が一体となって、流れ作業のように有罪判決が出されているとすれば、もはや我が国は「近代国家」たる資格を有さないであろう。

 本来、国民の利益を考えれば、司法権と行政権は分離独立して、相互に監視し合う関係になければならない。

 しかしながら我が国においては、「三権分立」とは名目に過ぎず、実態は、まるで江戸時代の奉行所のように、司法権と行政権とが一体となった前近代的制度に他ならないのである。


「憲法裁判所」の創設を

 そこで、司法改革の一つの方策として、「憲法裁判所」の設置について検討すべき時機であると考える。

 第二次世界大戦後、憲法改正をした国では、ほとんど「憲法裁判所」という裁判所を持っている。

 オーストリア、イタリア、ドイツ、トルコ、ユーゴスラビア、フランス、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、ベルギー、韓国といった国々は、みな「憲法裁判所」がある。

 ところが日本の場合は、占領憲法を押しつけたGHQにとって都合の悪い「憲法裁判所」は創られなかったため、独立後もそのままの状態で今日まで来たのだった。

 そのため我が国は、あくまで既成の裁判所の司法判断の中で違憲訴訟の裁判もやるという形をとっている。

 ただし、このような既成の裁判所の場合は、「憲法違反があって、それで損害を受けた」という「事件性」がなければ、法律の憲法違反を扱うことが出来ないことになっている。

 かつて占領下において、「警察予備隊は憲法違反だ」という訴訟が起こされた際に、「憲法違反によってどういう損害を受けたのか」が問われ、結果、その損害が明らかでなく、事件性を備えていないということで却下されたことがあった。

 一方、「憲法裁判所」の場合は、事件にならなくても、「これは憲法違反だ」という訴えを、市民が起こすことが出来るのである。

 我が国の場合、国民にとって主権を行使する方法としては、現在のところ、選挙権しか無いけれども、「憲法裁判所」が設置された場合は、国民は司法を通して直接的に主権を行使し得ることになる。

 国民が直接、主権を行使し得る社会になれば、形骸化した弾劾裁判所制度も、やがて大きく生まれ変わるに違いない。

 これからも抜本的な司法改革を目指し、問題提起を続けて参る所存です。









《財団概要》

名称:
一般財団法人 人権財団

設立日
2015年 9月28日

理事長:
牧野 聖修
(まきの せいしゅう)




 定款(PDFファイル)




《連絡先

一般財団法人
人権財団本部
〒100-0014
東京都千代田区永田町2-9-6
十全ビル 306号
TEL: 03-5501-3413


静岡事務所
〒420-0853
静岡市葵区追手町 1-19
天松追手町ビル2F
TEL: 054-205-6155
FAX: 054-205-6156