牧野聖修 [民主党静岡第1区] 本文へジャンプ

福田新内閣に問う



方針の無い内閣


 安倍内閣の突然の総辞職の後を受けて、急拵えの福田内閣が9月25日に発足した。
 各メディアの調査によると、50パーセント台の高支持率で、発足時の支持率としては史上4番目の高さだという。

 かつて小泉首相と袂を分かち官房長官を辞した人物だけに、小泉改革路線に異議を唱える国民の多くも福田新首相を支持していることが窺える。また、小泉・安倍と続いた劇場型の茶番政治に多くの国民が辟易している表れとも見られる。

 小泉改革の継承を望む者も、また小泉路線からの転換を望む者も、いずれも福田内閣を支持しているという不可思議な内閣である。

 いみじくも福田首相自身が「背水の陣内閣」と呼んだ如く、閣僚は改革派と旧抵抗勢力の双方から寄せ集めた挙党一致体制であるが、これは言い換えれば「方針の無い内閣」もしくは「何も出来ない内閣」に他ならない。

 そのため10月1日の所信表明演説では、既存の山積している問題には従来どおりの取組みを継続し、外交は日米関係を基軸に諸問題に対応してゆく、という当たり障りの無い内容に終始し、わが国にとって真に重要かつ緊急の課題については何ら語られることが無かった。



新自由主義政策のままでよいのか?


 今や世界は大変動期に突入している。

 米国で勃発したサブプライムローン破綻は、単なる金融危機ではなく、米国の実体経済をも揺るがし、世界恐慌への引き金ともなり得る重大な事態である。

 現在の世界的バブルが崩壊すれば、これまで自民党が推進してきた新自由主義政策そのものが成り立たなくなるのである。

 これまで東京で「好景気」とされてきた現象は、米国のバブル経済の煽りで、外資の投機マネーによって日本経済が押し上げられたように錯覚させられていただけである。現に地方で「好景気」を実感できた人はいないであろう。そもそも製造業が崩壊している国に「好景気」などあり得ないのである。

 このように投機経済で膨れ上がってきた世界的バブルであるが、今回のサブプライムローン破綻を契機に崩壊してゆくと予想される。

 日本経済はその渦中にあって、相当な打撃を被るであろう。

 このような事態に対し、果たして従来の新自由主義路線のままで対応出来るのだろうか?

 こうした事は、政治家であれば事前に予測していなければならないし、またそれらに対策を立てて遂行の計画を立ててゆくのが政治の使命である。

 しかしながら福田新首相の所信表明演説にはそのような危機感も無く、今後のわが国の運命に対しても全く無関心であった。



迫り来る2009年問


 今後国家レベルで最も重要なテーマとしては、
@世界経済危機問題
A地球環境問題
が挙げられる。

 ただし、この重要な2つの課題においては、新自由主義は一切通用し得ない。

 経済恐慌や環境問題は、いずれも経済合理性では解決出来ない事である。

 例えば、環境問題を市場経済に取り込めるなどという考えは、新自由主義の幻想に過ぎない。市場経済は効率と利潤を重視する。一方、環境は効率や利潤を否定する。全くベクトルが逆なのである。

 また、経済が破綻した際には、積極財政が必要となる。このように、経済合理性だけで国の政策をやってはならないのだ。

 世界レベルで見れば、現在進行中の経済危機により、やがて世界経済はブロック経済化してゆくに違いない。

 2009年におそらく成立するであろう米国の民主党政権は、確実に対日経済圧力をかけてくるであろう。米国の経済が危殆に瀕している時に、日本の為になる要求などするはずがないからである。

 米民主党は基本的に保護貿易主義政党である。

 米国にとって自由貿易が国益になる場合には自由貿易を続けるであろうが、自由貿易が国益に反するような状態になった場合、米民主党政権は必ず保護貿易に転じ、ブロック経済化を図ることになる。

 つまり新自由主義とは正反対のルールで政策を展開するようになるのである。

 今や、新自由主義政策の前提そのものが崩壊しつつあるのだ。

 また、米民主党は中国と親密な関係にある為、日中が対立した場合は、米国は中国との関係を優先する事になる。

 つまり米国は、経済においては"Japan Bashing"(日本叩き)、外交においては"Japan Passing"(日本無視)という方針へと転化することになるのだ。

 2年後に確実に訪れるこれらの危機を「2009年問題」と呼んでも良いだろう。

 こうして見るならば、現在の自民党政府の「対米重視」のみを主張してやまない外交政策は、能天気さを通り越して犯罪的でさえある。



国家の役割とは


 英国では識者の多くは、「サッチャーが国を荒廃させた」と言う。

 新自由主義の成功例として誇大に喧伝されてきたサッチャリズムは、今や多くの英国民にとって怨嗟の的となっている。

 例えば、かつて産業発展の象徴であったマンチェスターやグラスゴーは、現在では廃墟のようなゴーストタウンと化している。これは、国家が経済合理性のみを追求し、地域格差を拡大させた結果である。また教育や医療も破綻した。

 今日、英国でサッチャリズムを肯定的に評価する経済学者は皆無である。保守党でさえ新自由主義とは決別し、中道路線に転換している。

 そもそも弱肉強食の競争主義というのは一種のモルヒネのようなものであり、経済的に有効であるのは一時的なものに過ぎない。

 少なくとも政治家であるならば、予定調和的な「神の見えざる手」などを信じてはならないのだ。

 社会には必ず歪みが生じるものである。それを正すのが政治の使命である。

 市場経済の範疇を越えた経済的に非効率で非合理的な役割を果たす為に国家があり、政治というものが存在するのである。

 例えば、「食糧自給」や「エネルギー自給」のように、経済的合理性がゼロであったとしても、国家が百年計画で是非取り組まなければならない課題も存在するのである。

  経済合理性しか頭に無い政治家は必ず、「その財源は何処から来るんだ?」などと本末転倒の議論にスリ替えようとする。しかし国家にとって本当に必要であれば、一部の輸入品に関税をかけてでも財源を作り出せば良いのだ。

 わが民主党が農家戸別支援のマニフェストを掲げているのも、「食糧自給」という国家百年の大計を実現する一環として行っているのである。

 必要であれば積極財政を行うのが政治の任務である。

 事あるごとに「財源は?」などと文句をつけて政策を潰して回る政治家こそ、国家にとっては癌細胞のような存在と言えよう。

 真に重要な国家戦略は、政府主導で策定してゆかねばならない。経済合理性や市場原理主義だけで全ての問題を解決する事など不可能なのである。

 今回、全く中身の無い福田新首相の所信表明演説を聴き、改めて「これ以上、自民党に国家を委ねておくことは出来ない」との感を強くした。

 社会の諸矛盾を正し、国家としての正しい役割が果たされる為にも、一刻も早い政権交代が必要である。


[2007.10.1]